2026/01/29 17:48
ここ数週間、”境界”というキーワードが
自分の中から出てきてた。
ふと
「空ってどこから”空”になるんだろう」
と思ったこともあって、
そこから世界が広がっている。
目の前の空気だって
その見えない”境界”の”空”から
視線を落とすとここにある。
でも空といえば見上げて見える雲や太陽、
覆われているくもり空も。
雨の日の雨と雲と。
視線を落とせば建物が見えてくる、
そこが境界なのか。
境界ではあるけれど、でも違う。
目の前のこの空気は空ではないのか。
空気と書くように、
空の気だから
空:からっぽ。すきま。何もないようで、満ちている状態。
ないけれど満ちている気。
見えないけれどどこにはある。
あらゆるもののあいだを満たしているものが
空気なのだろうか。
でも呼吸してあるものがわかる。
音が響いて伝わってゆく。
温度も伝わる。
見上げたときにひらけるところが空というイメージだけれど、
人が見ているから「空」になるものでもある。
感じ方。
近すぎても空はない。
少し離れてゆくと、空が生まれる。
ひらけてゆく。
でもどこかからが空、
と人それぞれの感覚がある気がする。
その「間」は自分でつくっているのか。
年末に考えていた「間」が出てきた。
間、ま、って
あるようでない。でもある。
どこからか分かれているようで
でも分かれていない。
先日「障害」についても思っていた。
分かれる。でも同じ。分かれていなかったりする。
大きく見るほど同じになってゆく。
細かく見るほど分かれてゆく。
このあたりはもっと深くなりそう。
またあらためて。
先日ふと目にした作品(絵画)がある。
淡い色合いと表現されている太陽。
境界があるようでないような包含されている感じ。
でもなんだか涙が溢れてくるようなそんな奥に響くものがあった。
溶け合うように全部が同じ世界に含まれている。
国境の絵も見た。
国の境。
でも同じ人間。
人と人の間。
分けられているけれど、
分かれていない。
自分と世界も、
内側外側も、
そもそも境界なんてなくてもいいのではないかとも。
自分とのものごとの境まで考えると
もっと世界は広がり深まってゆきそう。
そんな感じたことを今
アートブックや絵本のような形で
見えないけれどある感覚、
形にはできないけれど
あえて形にするとしたらどんな形になるのだろう、と
すべて形にできなくても
その感覚の少しだけでも形にして
そこからまた誰かがそれぞれの感じたものを
表現して
それを見てまた感じて
何か表現にして
そんな世界を感じてみたい。
答えがないことだからこそ、
でも当たり前にある「分かれ目」「境界」について
それはなぜあるのだろう、なんのために?
をふと感じられるといいなとも思う。
境界が必要だからできた。
細胞も分かれて、成長してゆく。
違いがあるから分かれる。
分かれているからこそ調和しあえる、
大きな一つを生み出せる。
当たり前のことは当たり前になりすぎて
本当に大切なものも
視点がずれてしまうこともある。
大切なものを大切に。
感じたことを小さく表現して生まれてくる可能性。
ぬちぬオト。

